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日本一地域に根付く、温かいスポーツビジネス会社へ。

株式会社松本山雅
代表取締役 神田 文之

更新日:2022年9月14日

1977年生まれ。山梨県出身。
2000年、ヴァンフォーレ甲府入団。2001年、群馬FCフォルトナ入団。
2005年9月、松本山雅FCに入団し、同年11月に現役引退。翌年、東京の不動産会社に入社し営業として従事。
2012年4月に株式会社松本山雅に営業担当として入社。取締役管理本部長を経て、2015年2月に代表取締役に就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

信州を代表するクラブとして応援にこたえる成長を。

株式会社松本山雅は、Jリーグに加盟している松本山雅フットボールクラブ(※以下、松本山雅FC)の運営会社で、2010年にそれまでの運営法人に代わる形で設立されました。松本山雅FCは前身が1965年に地元選手を中心に創部された山雅サッカークラブで、これまでに2015年と2019年にJ1でプレーしています。

松本山雅FCは、とにかくサポーターや地元の皆さんから厚い支持をいただいているチームです。会社としてはその応援にこたえ、スポーツを通して地域の発展に貢献するスポーツクラブに成長していくことがミッションであると考えています。

私自身は2015年から社長に就任しましたが、もとはサッカー選手で、27歳で引退したときの所属が松本山雅FCでした。セカンドキャリアとして選んだのは、東京の不動産会社での営業職。仕事は充実していましたが、時折、またスポーツに関わりたい、自分で事業を立ち上げたい、といった思いがよぎる時もありました。

松本山雅FCがJリーグに加入したタイミングで「戻ってきて営業をやらないか」と声をかけてもらい、2012年に入社しました。営業は自分が好きなものが商品であれば、より営業力も増すけれど、自分は不動産マニアにはなれなかった。「さらに高みを目指すには、自分の魂を込めたものを売ることが一番だな」と考えていた矢先にもらったオファーでした。

スポンサーという営業商品は夢を語れる、やりがいを持ってできる、と思いましたね。正直なところ、不動産会社を名乗って営業にいくと、受け入れてもらえないこともあったのですが、「松本山雅です」と営業にいくと、皆さんが「よく来てくれましたね」と迎えてくださって。社員にも「こんなに営業しやすい地域は無いよ」とよく話すのですが、異業種の営業を経験しているからこそ、この環境にはより有難みを感じました。

J1昇格を受け、見合う組織を作らなければという使命感が芽生えた。

入社して3年で初めてのJ1昇格が実現し、勢いは感じていましたが、私自身はいまこそ会社をしっかりさせなければと考えていました。当時は本当に素朴な組織でしたね。

社員のクラブや会社に対する愛社精神や、成長意欲はものすごく高くて、そこに関しての不安は無かったのですが、一般的なビジネススキルが明らかに低かった。ビジネスマナーなどもできていませんでした。自分はそこを整えるために来たんだな、みんなを引き上げていかなければ、ということを感じていました。

前職は社員数300人くらいの会社だったので、そうした組織のなかに在籍するなかで見えることがたくさんありましたし、中小企業を育てるうえでのヒントもたくさん得ることができたかなと思いますね。

最初は現場の問題点や、その温度感を知らないと、気持ちが乗らない人間関係になってしまうと思ったので、社員と一緒に汗をかくことから始めました。そういう仕事は自分も好きでしたし、泥臭いことを一緒にやる回数を重ねていくことで、少しずつ心を開いてもらえた感覚ですね。

社員は松本山雅FCが好きで働いている人ばかりなので、そこの気持ちに寄り添えないと、この組織はうまくいかないと思ったんです。上からものを言うのではなく、人間関係を作り、理解し、寄り添って、やがて改善点を伝える、というふうに進めていきました。

ポテンシャルの高い社員を伸ばしてくれるキャリア人材を採用。

これだけステークホルダーが熱く応援してくれるクラブなので、ポテンシャルは高いのですが、ビジネスを語れないとJリーグのなかでも存在感を示せないのは目に見えていました。

社内でビジネスを語れる人材を育てることが必要だし、思いを持っていてこれから成長できる社員も多かったので、教えてくれる人材を増やすべきだと考え、キャリア採用にも動きました。

私が社長になってから、社員数は倍くらいに増えて、当時は社員を採り過ぎではと言われたりもしましたが、ステークホルダーとの関係性を考えると、最低限の組織は作らなければという責任を感じていたので、会社としてあるべき組織を作っておいてよかったと思っています。

幹部クラスに求めたのは、チームで働ける人かどうか、ということ。その人のキャラクターやポジションを、いまの会社のフォーメーションのどこで活かせるかを考えましたね。まず攻撃が大事ですが、守備も構築するためには中盤も大事ということで、営業部門だけでなく、管理部門にもしっかり投資して人材を確保できました。

私としては、ストロングを持っているスペシャリストが多い組織にしたかったので、そこにこだわりを持ちつつ、地元を大切にするクラブとして地縁のある人材も大事にしてきました。もちろん血を混ぜていくなかで生み出されるものもあるので、次のステップではそれに限らないとは思っています。

地域密着のスポーツビジネスを体現し、地方チームのベンチマークに。

会社が目指す姿は「日本一地域に根付く、温かいスポーツビジネス会社」。ここに全ての考え方が入っていると思います。“熱い”ではなく“温かい”と表現したのは、地域に馴染むというか、クラブにいまある温和な雰囲気を大切にしたい、という気持ちからです。このクラブが、この地域で期待されている姿は、熱いけれど温かくて身近な姿なのだろうと思っています。

別角度から見ると、地域を良くすることと、チームを強くすることの掛け算をしていこう、ということ。スポーツビジネスを深めることが地域を良くするし、チームも強くする、ということを戦略の中で表現しています。

日本のなかでは唯一無二の部分もあると思うのですが「素朴なクラブだけど、こんなに地域に応援されて、こんなに強いチームが出来上がっていて、こんなにすごいスポーツビジネスができている会社なんだね」というのを体現することが、すごく大事だと思います。

いま、試合にこんなに観客が入っているのにJ3(※2022年シーズン現在)ではダメだと思うし、うちが示していけないと、地方のスポーツビジネスが盛り上がらないと思うんです。J3のクラブや、これからJリーグを目指していくチームのベンチマークになるべき存在が、松本山雅だと思っています。

入社前、松本山雅の開幕戦を味の素スタジアムに見に行ったのですが、アウェーにもかかわらずサポーターが6000人も応援に来ていて「こんなにサポーターが増えているのか」と胸に来るものがありました。「この熱を無駄にしてはいけない。この力をビジネスに反映させなくては、このチームを強くしなければ」という責任を感じたんです。私の前に働いていた人間も同様の意識を持っていたと思いますね。

アグレッシブにゴールに向かう人材が欲しい。

松本山雅がやれれば、地域に響いていくという土壌はできている。独自性を持っていることが、このクラブにとって重要な要素であり、そのためにも僕自身の色は出さないようにしているので、関わった人が自ら手作りしていくようなマインドで関わってほしいですね。

サポーターの皆さんも、自分たちがどんな応援をすれば勝てるのか、と真剣に考えているんです。僕たちもそれに向き合って、失点が多いから守備の時に応援したらいいんじゃないか、とか一緒に語り合ったりしている。

それが他のクラブには無い関係性で、サポーター側も粋に感じているし、本気で12番目の選手として考えてくれている。試合運営を手伝ってくれるボランティアも、同じように来場してくれた人にどう楽しんでもらうか、一生懸命に考えてくれている。この総和が松本山雅のエネルギーになっていると思いますし、そこをしっかりビジネスとして構築していきたいと思っています。

編集後記

コンサルタント
浦野 順也

インタビューの中の「一緒に汗をかく」「チームで働ける人」「日本一地域に根付く、温かいスポーツビジネス会社」という言葉。私がホーム戦を観戦した際、社員、関係者、ボランティアが一丸となり生き生き楽しそうに準備や運営を行う姿と重なり、神田社長の想いが体現されている組織だと感じました。これからも松本山雅は唯一無二の地域密着型スポーツクラブとして走り続けることに疑う余地はありません。私たちも12番目の選手として目指す姿に向かい、微力ながらサポートしていきたいと強く思います。

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