お菓子でつなぐ地域と世界。人材の力で変革を続ける北川製菓。
株式会社北川製菓
代表取締役 北川 浩一
長野県生まれ。立教大学卒業。
1980年 株式会社北川製菓入社。
1997年 代表取締役就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。
行商から始まったお菓子作り。大手との取引を確立する中で家業を継承。
北川製菓は私の父が1958年に創業した会社です。父は東京で働いたあと地元の長野へ戻りましたが、当時は就職難だったため、親戚が勤め先を紹介しようと声をかけてくれたそうです。しかし、父は「どこかに就職するよりは自分で商売をやろう」と決めて、自転車の荷台にお菓子を載せて売る行商を始めました。
父の実家は菓子屋でお菓子づくりの技術があったことから、行商の傍ら自分で飴を作って売るようになったそうです。その次にでんぷんを原料としたせんべいや、かすてらドーナツを作るようになって本格的に製造ラインを整えていきました。
やがて長野県内の大手菓子流通問屋との取引が始まり、母が大型トラックの免許を取得して取引先まで商品を届けるようになりました。
私が北川製菓に入社したのは1980年のことです。大学3年ですべての単位を取り終えたので、4年生になったときに地元へ戻りました。当時はちょうど大手菓子流通問屋との取引が軌道に乗って商売が忙しくなった頃で、両親から継いでほしいと言われ、そのまま家業に入りました。
次々と新商品を生み出す中で立ちふさがった、売上低迷の壁。
入社後は、母に代わって取引先へ商品を届けるのが主な仕事でした。毎朝4時に起きて工場へ行き、最初にやるのは油の入った揚げ鍋に火をつけることです。
それから生地を練って、練り上がったら機械に投入してお菓子を作ります。7時半頃には従業員が出社してきますから、そこから朝ご飯を食べる生活をしていました。当時は父と母、社員数名とパートの方が10名ほどの小さな組織でした。
1985年には今の本社がある場所に駒ケ根市工場を新設しました。その頃の主な商品は、でんぷんせんべい・ベビードーナツ・ベビー甘食です。あんドーナツの製造ラインも同時期に新設して作り始めましたが、それまでお付き合いのあった県内の大手菓子流通問屋だけでは売上が伸び悩み始めました。
そこで日本を東西に分けて、西は名古屋を中心とした地域、東は東京から東北圏までをターゲットに、それぞれ販路を模索し始めました。
地方から全国へ!販路拡大を支えたのは人材の力だった。
ただ、全国に販路を広げるのはそう簡単ではありません。菓子業界には「菓子食品新聞」という全国紙がありますが、この新聞に大手の問屋として載っている会社に片っ端から営業電話をかけました。
東京のとある企業からは「東京に営業拠点がないのなら取引しない」と断られたこともあります。それならと知り合いの菓子メーカーのつてを頼って、東京で営業をしてくれる人材を紹介してもらいました。
最初は諸々の条件面が合わず、せっかく良い人に巡り会ったのに一緒に働けないのかと落ち込みましたが、東京にある大手食品商社の商品部長が「この会社はとても誠実なところだから、ぜひ働きなさい」と後押ししてくれて、無事に営業として迎えることができました。
その出来事がきっかけで、大手食品商社ともつながって取引先となり、関東圏の売上は毎年2倍・3倍のペースで伸び続けています。その後、名古屋にも営業所を作りました。そこで初めて雇った営業の社員は、名古屋の展示会で自ら「私を使ってください」と売り込んできた面白い人材です。
彼の働きでコープ北陸との取引が始まり、そこから他地域のコープや日本生活協同組合連合会ともお付き合いができたことで商品のバリエーションも広がっていきました。
例えば、かつてのドーナツは大袋に入れて1個あたり30円で売るのが相場で、一度大袋を開けると消費期限は3日ほどと短めでした。これを個包装にし、消費期限を伸ばしつつ1個50円で販売することに成功しました。
さらにカスタードクリーム入りのソフトケーキや冷凍ドーナツ、イタリア・ナポリの郷土料理ゼッポリーネなど、新しい領域を次々と開拓して取引先もどんどん拡大していきました。
意欲ある人材とともに、もっと良い会社をつくりたい。
当社が一緒に働きたいと思うのは、意欲の高い人です。もっと新しい挑戦がしたい、スケールの大きな仕事がしたい、自分の暮らしを良くしたいといった前向きな原動力をもとに進む人とチームになって、より会社を成長させていければと考えています。
今は量よりも質や価値が重視される時代ですから、それを念頭に置いた経営を行う必要があります。会社が利益を上げなければ、当然社員の給料も上げられず、経営理念でもある「全社員の幸せ」も達成できません。
当社は中途採用も含めて非常に優秀な人が集まっていますが、良い人材の給与が高いのは当たり前です。いくら高くてもそれ以上に利益をもたらしてくれたり、現場の生産性向上につながるのであれば、当社は相応の報酬を出します。
最近、中途採用で入ってもらった工場長は当社のこれまでのやり方を尊重しつつ、新しい方法もうまく組み合わせた現場の管理をしてくれています。彼が社内で提案をすると人が動き、それが当社の新しい価値になっていきます。
そういった周りの人も巻き込んだ変化をもたらせる人とぜひ一緒に働きたいですね。
メイドインジャパンを世界へ。北川製菓の海外ビジネスの展望。
少子高齢化と人口減少が進む日本では、食べる人の数も減っています。しかし、世界に目を向けると人口は増えているので、当社も世界に向けたビジネスを加速させています。
冷凍ドーナツや冷凍ゼッポリーネは賞味期限が長いので船を使った輸出ができ、非常に需要も高い商品です。今後10年から20年間は冷凍食品の輸出が伸びると予想していますが、その中でも常に新たなチャレンジをし、グレードアップしなければなりません。
冷凍ドーナツは専門的に言うとケーキドーナツという部類に入ります。当社はこれまでケーキドーナツに力を入れてきましたが、近年はイーストドーナツ、つまりパンのドーナツも作り始めました。これからも絶えず進化し続けながら、新商品の開発につなげていきます。
基本的にはメイドインジャパンの商品を輸出するスタイルを取っていますが、まずは国内でしっかり人材を育て、現地でもチームを束ねていける力量のある人が出れば、その人材に現地生産を任せる未来もあるかもしれません。
国内外の販路拡大においても、新商品の開発においても、何よりも人の力が重要だと考えています。
集合知が生むイノベーションで、社会を豊かにする企業を目指す。
私が会社を経営する中で大切にしてきたのは「良い会社にしよう」ということです。
規模を大きくしたいというよりは、経営理念「私たちは、美味しく安全な『食』を創造することで社会に貢献する。常にコミュニケーションを大事にし、的確に業務を遂行し、地域と会社の発展と全社員の幸せを実現する。」に沿って着実にやってきた結果、今では150名以上の社員とともに働けています。
また長野県に根ざす企業として、地元の教育施設や地元イベントへの寄付といった地域貢献活動も積極的に行っています。ただ、一番の地域貢献はやはり人を雇用することです。長野県に暮らす人が増えれば経済がさらに循環し、もっと地域を活性化できるでしょう。
北川製菓でよく使う言葉に「集合知」というものがあります。人材採用の面においても、当社に古くからいる人材が持つ経験と、中途採用の人材が外から持ち込んだ経験をうまく融合させれば新しい集合知が生まれます。
これから仲間に加わる方と互いに切磋琢磨し合い、さらに大きく世界へと踏み出す企業を目指したいと思います。