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自由に発想し、常に変化しながら世界に認められるブランド構築へ。

エムケーカシヤマ株式会社
代表取締役社長 樫山 剛士

更新日:2023年2月22日

1976年 岩手県生まれ。桃山学院大学卒業。
2001年 エムケーカシヤマ株式会社に入社。
2002年 取締役就任。
2010年 代表取締役就任。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

子どものころから意識してきた“三代目”。入社直後から大きな試練。

エムケーカシヤマは祖父が創業者で、私は三代目になります。自動車用ブレーキ部品をメインに製造し、国内外に販売しています。入社したのは25歳。大阪の大学に進学したのですが、在学中は他の会社に就職しようか、継がないで別のことをしようか、などいろいろ考えていました。

それでもやはり三代目ということで、小さい時から「会社継ぐんでしょう?」と言われて育ってきたこともあって、他の仕事に就くイメージができなかったんですね。大学4年生に進級するタイミングで、父に「海外のお客さまも多いから、会社に入る前に海外で英語の勉強をさせてほしい」と頼み、イギリスに1年半留学した後、父の会社に入社しました。

帰国して入社したものの、会社の経営はすごく厳しい状態で、売上はピーク時の半分程度。業績悪化で父はどこか他の会社に事業譲渡をしたいとのこと。私は入社したばかりなのに、自社の売却交渉をすることになります。

金融機関のM&A専門の担当者と一緒になって、国内外の企業やファンドとの交渉を進めつつ、同時に社内の建て直しを図るための業務改善やリストラも行いました。25歳~26歳のときです。

一度は譲渡相手が決まったのですが、プレスリリースを出す1週間前に白紙になってしまいます。その後、他の提携先も見つけつつ、国内外の売上を伸ばして業績を改善し、35歳の時に父から社長を引き継ぎました。2023年で12年目になります。

私はきちんと経営を勉強してきたわけではないのですが、中学生の頃から経営書が好きでした。城山三郎の小説で名経営者の話を読んだり、経営に関する本やダイヤモンド、プレジデントなど経済系の雑誌も通学中に読んでいました。その頃が一番経営書を読んでいた気がします。

あとは、実地で経験を積むことで、経営と財務を身に付けていったという感じです。入社後は、エムケーカシヤマとは別に金型の会社も経営していました。若い頃から事業が異なる2社をみていたため、経験値の積み上がりは早かったと思います。とにかく延々悩んで考えてやってきました。

真面目一辺倒だった時期を経て、40代の今は少し考え方に余裕ができた。

振り返ってみると20代、30代のときは仕事に対して潔癖で、真面目一辺倒に全部正しくやろうとしていたな、と思います。29歳で金型企業の社長を引き継ぎ、35歳でエムケーカシヤマの社長を引き継いだのですが、エムケーカシヤマを引き継いだ頃から問題が重なりました。

タイに現地法人を立ち上げて工場を建てたものの、予定していた受注が上手くいかず、赤字続きとなって4年で閉鎖。金型会社の方は、当時国内でも三本の指に入るほどの規模で携帯電話の筐体の金型を作っていたのですが、みんながスマートフォンを使うようになり、日本の携帯メーカーが次々と無くなり、売上も20億円から9億円へ急激に落ちたんです。

そこで、単独でやり続けるのは難しいと判断して、金型会社は事業譲渡することに。39歳の時でしたが、片方の会社は譲渡せざるを得なくなり、もう片方は工場閉鎖で大赤字。かなり辛い状況でした。

今思うと、譲渡しなくてもやっていけたと思うのですが、当時は自分に経営者としてのスキルが足りない、と思い込んでしまって。「社員にまともに賞与も払えず、幸せにできていないのは、経営者としてはダメなんじゃないか。経営者としての資格がない」なんて思い詰めてしまったんですね。

金型は祖父の代からやっていた事業ですし、私自身も強い思い入れがあったのですが、その時は限界でした。タイの工場閉鎖とタイミングが重なっていたことも大きく、もういっぱいいっぱい。前向きに考えることなんてできませんでした。

他にもたくさんの大変なことがあって、40歳前後はすごく落ち込んでいたのですが、そうやって大変な経験をすると、それに慣れてきました。大概のことは、「まあ大丈夫かな」と思えるようになって、43~44歳ぐらいからは、何かあっても脊髄反射のように「こういうときはこうだな」と、すっと判断ができるようになってきました。

経営者が精神的に余裕のない状態だと良くない、というのも身を持って分かったので、仕事を詰め込み過ぎないように意識をして、いつでも平常心で経営判断ができるようにしています。

いろいろ大変なことはありましたが、どんな状況でも社員が一緒に頑張ってやってくれたのは、本当にありがたかったです。正論ばかりの面倒な若い社長と一緒に仕事をしてくれていたわけですから。ありがたいですし、迷惑をかけて申し訳なかったとも思います。

会社に変化の無い状態が一番嫌。持ち込まれる異文化が変化を生む。

おかげさまで今は非常に業績が良く、2022年は売上も利益も過去最高を更新しました。ただ、22年は円安の影響で下駄をはかせてもらっている状況だと思っているので、この売上と利益を維持するためには、ビジネスのあり方や自分たちの立ち位置をさらに変化させていかなければと思っています。

採用面では、当社は昔から中途採用を積極的に行ってきました。ある程度専門スキルを持っている方が入ってくれたらいいなとは思っていますが、パーソナリティや仕事にあたるスタンスも大事だと思っています。

もちろん性別は問いませんし、いまは海外の方も積極的に採用したいと思っています。当社は、現在60%以上が海外での売上です。今のところ海外営業は日本人だけで行っていますが、お客さまの言語でダイレクトにやりとりできる外国人材が入ってきてくれたら嬉しいですし、積極的に採用したいです。

中途採用の良いところは、異文化が持ち込まれることによって摩擦が生じる点だと思うんです。摩擦が生じると「どちらがいいのかな」とか「そんなやり方もあるんだ」と考えることになりますよね。同じカルチャーの中だけにずっといると、年を重ねるほど考えが固まって、視野が狭くなる。

特に、当社のように長く同じプロダクトを作って、国内に関してはお客さまもあまり変化しない環境だと、ある意味マンネリ化してしまう。

そこに、他の会社や業種で働いてきた方が入ってくると、当社の当たり前がその人にとっては当たり前ではないわけで、それが会社にとってもそうですが、私にとってもすごくありがたい。

私もいろいろな会社を見に行って経営者にも会っていますが、それでも自社内にばかりいると意識が硬直化してしまうので、中途採用者の働き方、仕事の進め方から気付きをもらっています。

とにかく、会社に変化が無い状態でいるのが一番嫌なんです。必ず、去年と比べて今年は何かが変わっていてほしい。同質すぎて変化のない人や組織は、今の時代に合わないと思うので、外部からのカルチャーが混じっていくことで、社内にちょっとした気付きが生まれ、従来からいる社員が、「そういう考え方もあるんだね」と意識を変えてくれたり、発想転換のきっかけになってくれるといいなと思っています。

お客さまや市場の変化に合わせ、我々の見せ方も変わっていかなければ。

社長になってからの10年で会社も成長し、商売のあり方も変わってきました。成長・変化していくと、社内に足りない部分や、ここ付け加えたいな、という仕事や機能が出てきます。

そうしたプラスしたい機能を補完するスキルを持っている方に、中途で入ってもらうのは非常にありがたいし、効果があります。

例えば、IT化を進めたくても、当社ではITの専門部門があるような無いような感じで、そこを何とかしたいとずっと思っていました。そんな中、大手企業のIT部門で経験がある方が中途で入社し、ベンダーの選定や社内のITを絡めた改善を進めてくれて、かなり業務改善が進みました。

また、国内外でブランディングを強化するために、デザイン、マーケティング部門も作りたかった。そんな中、デザイン関連の仕事をしていた方が中途入社され、デザイナーさんとのやり取りやブランドブックの策定、新しいロゴをローンチするためのルール決めなど、これまで社内ではできなかったブランド向上のためのさまざまな取り組みができるようになりました。

作るモノは変わらなくても、お客さまの状況や市場の環境はどんどん変化していて、我々が求められることも変わってきます。市場の変化に合わせて、会社を変えていかなければならない。変化を促すことができる人材に来ていただけると嬉しいです。

シュリンクする市場のなかで、逆に成長できる強みを見つけていく。

当社は自動車補修品向けのブレーキパッドとブレーキシューという、ブレーキパーツを作っていて、非常に古い産業ではあるのですが、商売のあり方はまだまだ変えていけると考えています。国内市場はシュリンクしているのですが、私は市場が縮んでいくことをあまりネガティブには捉えていなくて、むしろその状況のなかで当社ができることは何かをずっと考えています。実際、市場規模がシュリンクする中、当社はむしろ売上を大きく伸ばしています。

通常、自動車部品を作っているところは親会社があって、その意向を汲まないといけませんが、うちは自社ブランドで国内も海外も販売しているので、売り方もブランディングもマーケティングも自分たちで考えています。

自由に発想しながら、自由に販売していけばいいと思っているし、海外は現在80か国くらいに販売していますが、アメリカや中国、インド、南米といった大きい国の開拓がまだです。それらの市場に入ることができれば、これからも成長できると思っています。

また、「WinmaX」という、レースの世界で使われるハイエンド・ハイパフォーマンスな製品は、現在国内売上がメインで、海外での売上は少ないのですが、その分野にも成長の余地があると思っています。性能だけでなく、見た目などにもこだわったハイグレードなものを求める層は世界中にいるので、そういったハイエンド層に魅力を感じてもらえる製品も開発中です。

世界中で二極化が進んでいて、高く売りたいのであれば、しっかりとしたブランド力が必要です。ブランド力を上げるため、各国の顧客と共同マーケティングを行い、どの言語の国の方でも分かるようなロゴへの変更などを進めています。

ハイブリッドや電気自動車に移行していくとパーツ交換は減ってくるのですが、そうはいっても自動車はロングテールなので、補修品が不要になるまではかなりの時間がかかると思っています。さらに、当社のブレーキパーツを作るノウハウを活かして、産業機器など別分野への進出も進めています。

幸福度が高い長野・佐久での暮らし。

本社がある長野県佐久市は、とても魅力的な場所だと思っています。東京も新幹線を使えばすぐだし、金沢も新幹線ですぐ。教育や医療の水準も高い。近くには軽井沢があって、その文化も感じられる。スキー場も温泉も近い。

首都圏に行くと、いろいろなものが過剰に感じるんです。会社のあり方、働き方、人の多さ、情報、欲などなど、いろいろなものが都会は過剰になり過ぎていて、それが心地よい人にとっては良いと思いますが、私自身にはちょっと合っていないというか、疲れるなと。

生活の中で四季を感じ、自然の美しさを感じられるのは凄くいいですよ。それと、私も子育て中ですが、子供を育てる環境としてもいいと思います。佐久はさまざまな面で幸福度の高い暮らしができる場所だと感じます。

佐久に当社のような会社があるということはまだまだ知られていないので、転職を希望している方に応募してもらえるよう、頑張らなきゃいけないなと思っています。

編集後記

コンサルタント
児玉 珠美

樫山社長が入社した2001年以降は、まさにチャレンジングな取り組みばかりで「会社に変化が無い状態でいるのが一番嫌。必ず去年と比べて今年は何が変わったのかを実感していたい」という言葉は実体験に基づいており、重みを感じました。

シュリンクする市場の中で、国内はもとより全世界のあらゆるマーケットへ向けて商品を提供し、評価を得ている理由は、すべてのメーカーにきめ細かく対応した多彩なラインナップにあります。

今後も自社のプロダクトをさらに価値あるものとするために、同社は止まることなく進化し続けるでしょう。同社の今後のチャレンジ、成長が楽しみです。

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